本作品は、ボード(板)に油彩であることと、寸法、サイン、額縁の形態から、明治36年(1903)に長崎に帰郷し、洋画塾や洋画専門学校を開校、大正4年(1915)に絵画制作をやめ、上京するまでの間に制作されたと考えられる。 この時期の作品としては、明治39年(1906)頃の《和洋合奏之図》と明治43年(1910)頃の《九十九島・月夜の景》が知られているが、本作品は中でも、《和洋合奏之図》と近似した絵 の具の固着の様子が見て取れる。《和洋合奏之図》については、モデルとなった子どもたちが、特定されつつあり、長崎で描かれた可能性がより強まってきている。本作品も、長崎で描かれた作品のひとつと推測できよう。
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