長崎県美術館

コレクション展

企画展 井上孝治の写真―軍艦島と長崎

概要

長崎市 端島 1958年6月 撮影:井上孝治 井上孝治写真館蔵
会期 2015年04月28日(火) ~ 2015年07月26日(日)
開館時間10:00~20:00(最終入場19:30)
休館日第2・第4月曜日(休日・祝日の場合は火曜日が休館) ※4/27、5/25は臨時開館
会場常設展示室 第4室

井上孝治(1919-1993)は、福岡市出身のアマチュア写真家。戦前から写真を撮り始め、カメラ店を営む傍ら、生涯に渡って精力的に撮影を続けました。晩年、福岡市の老舗百貨店の広告キャンペーンで半ば埋もれていた彼の写真が採用されたことで注目を浴び、現在ではアマチュアの域を越えて国内外で評価されています。
広告キャンペーンで発掘されたのは、昭和30年代に福岡の路上で撮影されたスナップで、ネガのままで長年保管されていた未公開のモノクロ写真でした。それらには、働き、遊び、笑う、大人と子供たちのかけがえのない一瞬が、卓越した構図の感覚によって活き活きと切り取られています。
なかでも重要なのは、子供たちを撮影したもの。独特の近い距離感で「子供の世界」に肉薄した写真からは、子供たちに対する井上の深い共感が伝わってきます。私たちは井上の撮影した子供たちの姿を目にするとき、喜びや興奮や不安や哀しみなど、かつて子供であった頃に味わったさまざまな感情が遠い記憶の彼方から呼び覚まされるのを感じるのではないでしょうか。
躍動感と詩情が共存し、ユーモラスで、時に哀切でもある井上の写真は、世界に対する彼の純粋な興味や驚き、愛情を映し出しています。これらの写真には、戦後およそ10年を経た日本で懸命に生きる人々――それは私たちの祖父母の、親の、あるいは私たち自身の姿です――の生命の輝きが焼き付けられていて、見る者を惹きつけてやみません。
さて、井上の名を高らしめたのは福岡で撮影された写真でしたが、井上は、米軍占領下の沖縄を始めとしてさまざまな土地を訪ね、数多くの印象深い写真を残しています。長崎については、戦後、比較的早い時期の、いまだ原爆の爪痕を深く残した長崎市内を訪れ、浦上天主堂の被爆遺構を撮影していることがわかっています。それ以後も繰り返し足を運んで、くんち(10月に行われる諏訪神社の祭礼)やペーロン(7月に行われる和船の競漕)、精霊流し、教会での宗教行事といった、長崎独特のエキゾチックな風物をフィルムに収めています。井上は壱岐や対馬も訪れており、その時に撮影された写真は、極めて貴重な島の暮らしの記録です。
このたびご紹介するのは、昭和30年代に訪れた軍艦島と長崎市内の写真です。井上は、昭和33(1958)年6月2日に、長崎市沖に位置する海底炭鉱採掘のための半人工島である端島、いわゆる「軍艦島」に渡り、半日程度と思われる短い滞在時間の中で、市場で買い物をする女たちや、鉄筋コンクリート建築のはざまで遊ぶ子供たちの姿をフィルムに収めました。そこには、今や日本で最も有名な廃墟の現役当時の姿――鉄筋アパートのベランダに鯉のぼりと洗濯物がひるがえる、生きた町としての姿――が活き活きと焼き付けられています。
一方、長崎市で撮られた写真は、昭和32(1957)年3月と、軍艦島訪問の同日である昭和33(1958)年6月2日に撮影されたもの。井上は、浦上天主堂の被爆遺構や、洋館群のある南山手および東山手地区を中心に撮影を行い、斜面に家々が建ち並ぶ特徴的な風景とそこに暮らす人々の日常生活をカメラに収めています。
井上孝治という写真家のまなざしを通して保存された、在りし日の長崎の「記憶」。そこには、戦後復興から経済成長へと向かう時代を支える希望の力と躍動を見出すことができるでしょう。

井上孝治(いのうえ こうじ 1919-1993)
井上孝治 1957年3月  井上孝治写真館蔵

福岡市箔屋町(現・博多区店屋町)の、裕福な桶樽製造業者(のち旅館業に転向)の長男として生まれる。3歳の時に階段から落ち、聴力を失う。福岡県立福岡盲唖学校(現・福岡県立福岡聾学校)中等部木工科で家具の製作などを学ぶ。昭和13(1938)年、趣味人であった父親から盲唖学校の卒業記念に二眼レフカメラを贈られ、翌昭和14(1939)年頃に写真コンテストで初入選。以後、大小のコンテストで入賞を重ねる。戦時中は、地元の写真クラブに入会し、また出征兵士の慰問のために家族を撮影して戦地に送るという運動で市外の農村地区に派遣されるなどしている。戦後は、昭和25(1950)年から志賀島の米軍基地内の売店の写真部に勤務し、DPEとカメラ修理を担当する。昭和30(1955)年に独立し、福岡県春日市春日原で「井上カメラ店」を開業。昭和32(1957)年からは聴覚障害者の写真クラブを主宰した。昭和34(1959)年、撮影旅行で単身沖縄に渡り、4週間滞在。復帰前の沖縄の風景や人々の暮らしを多数撮影した。同年、福岡県ろうあ福祉協会会長に就任。昭和48(1973)年、全日本ろうあ写真連盟を創設し、初代会長に選出される。昭和51(1976)年、全日本写真連盟(アマチュア写真家の全国組織)の西部本部の委員に障害者として初めて選ばれる。平成元(1989)年、福岡市の百貨店・岩田屋のキャンペーン広告に昭和30年代の写真が採用され、大きな反響を呼ぶ。復帰前の沖縄で撮った写真も同時期に再発見され、平成2(1990)年に那覇市で写真展が開催された。この年には、パリ写真月間にも出品している。平成5(1993)年、南仏のアルル国際写真フェスティバルの招待作家に選出されるが、開幕直前に肺癌で他界。同フェスティバルでの個展が遺作展となり、アルル市からは名誉市民に選ばれる。フランスのドキュメンタリー映画監督ブリジット・ルメーヌは井上孝治を取材し、平成8(1996)年に短編、平成11(1999)年に長編映画を制作した。同じ平成11(1999)年には井上孝治の評伝『音のない記憶―ろうあの天才写真家井上孝治の生涯』(黒岩比佐子著、文藝春秋)が刊行された。写真集に『想い出の街』(河出書房新社、1989年)、『あの頃』(沖縄タイムス社、1991年)、『こどものいた街』(河出書房新社、2001年)がある。2003年には福岡県の糸島に井上孝治写真館が開館した。

作品紹介

基本情報

観覧料
一般400円(320円)
大学生・70歳以上300円(240円)
小中高生200円(160円)

◎( )内は15名以上の団体料金。
◎障害者手帳保持者及び介護者1名まで無料。
◎「藤城清治展」、「フリオ・ゴンサレス展」のチケットでも観覧できます(それぞれの会期中に限る)。

主催等
主催長崎県美術館
協力井上孝治写真館