長崎県美術館

コレクション展

渡辺千尋―聖母復刻

概要

有家版キリシタン銅版画「セビリアの聖母」渡辺千尋による復刻版 1996年 エングレーヴィング、雁皮刷り 個人蔵
会期 2017年02月07日(火) ~ 2017年04月23日(日)
会場常設展示室 第4室

長崎ゆかりの銅版画家・渡辺千尋(わたなべ・ちひろ1944-2009)。生前、国内でも数少ないエングレーヴィング*の名手として知られた彼は、1995年に、長崎県の島原半島にある有家町(現・南島原市)からある仕事の依頼を受けました。16世紀末に同地にあったセミナリヨ(イエズス会の中等教育機関)で制作された銅版画《セビリアの聖母》を復刻するという仕事です。
 《セビリアの聖母》は、日本におけるキリスト教布教史の貴重な資料であると同時に、日本最古の銅版画の一つとして版画史上極めて重要な作例でもあります(現在はカトリック長崎大司教区が所蔵。長崎県指定有形文化財)。数奇な運命をたどったことでも知られるこの歴史資料を復刻するという困難な作業を、渡辺は、試行錯誤の果てに翌1996年に完遂します。しかし作業の過程でいくつかの謎に突き当たり、作業を終えた後も、キリシタン迫害の歴史や図像の伝播、当時の制作プロセス、そして作者である版画家の正体などについて調査と思考を重ね、独自の仮説にたどりつきます。そしてその成果をまとめた文章が、2001年に第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞して『殉教(マルチル)の刻印』として刊行されることになるのです。
本展は、同書や渡辺の残した資料に基づき、彼の《セビリアの聖母》復刻をめぐる一連の作業と思考をたどるものです。また、この稀有な体験が、その後の渡辺の創作に大きな影響を与え、晩年の渡辺による長崎の歴史の「再発見」に繋がったことも紹介します。
 なお、本展では、カトリック長崎大司教区のご厚意により、オリジナルの《セビリアの聖母》の特別展示が実現することとなりました。オリジナルの《セビリアの聖母》制作から420年、そして渡辺の復刻作品の制作から21年を経て開催する本展が、400年の時を超えて共振する二人の版画家の魂に触れる機会となり、また日本におけるキリシタン史と版画史上のひとコマについてあらためて考える機会ともなれば幸いです。


*エングレーヴィングとは、ビュランと呼ばれる彫刻刀を用いて銅板をじかに彫る技法。銅版画技法の中で最も古いものです(15世紀前半にドイツで生まれました)。ドイツ・ルネサンスの巨匠デューラーがその最大の名手として知られていますが、高度な技術が必要なため、創作技法としては、一世紀ほど遅れて登場したエッチングの後塵を拝することになりました。しかし近代以降、その金属質で冷たい刻線と驚異的な細密表現に魅了される版画家たちが散発的に登場します。渡辺千尋は、現代日本における数少ないエングレーヴィング作家の一人です。


《セビリアの聖母》とは・・・

16世紀末に島原半島の有家町(現・南島原市)にあったセミナリヨで制作された銅版画(エングレーヴィング、21.0cm×13.8cm)。幼児キリストを抱く聖母マリアの立像を壁龕状の空間に表したもので、スペインのセビリア大聖堂にある壁画が図像の源泉であると考えられています。画面下部に刻まれた書込みが「1597年、日本のセミナリヨにて」という意味にとれることから、有家のセミナリヨにおいて、同地で育成された日本人版画家によって制作されたものと推定されています。
 「セミナリヨ」とは、イエズス会が設置した中等教育機関。1580年に安土と有馬(現・南島原市)に設立され(天正遣欧少年使節の4人は有馬のセミナリヨの一期生です)、その後、禁教の流れを受けて合併・移転を繰り返します。《セビリアの聖母》が制作された1597年当時は有家にありました。
 セミナリヨの生徒たちはイエズス会宣教師のもとでラテン語や音楽、油彩、水彩、そして銅版画を学んでおり、《セビリアの聖母》は、生徒の一人が西洋絵画を手本に制作したものと考えられています。手本となった作品は布教のために宣教師たちが日本に持ち込んだもの。信者の拡大に伴ってより多くの聖画が必要になったことから、日本での制作が促されたのです。《セビリアの聖母》は、同じく有家のセミナリヨで制作された《聖家族》と合わせて、日本で制作された最古の銅版画の一つとされています。
 《セビリアの聖母》は、豊臣政権下でキリシタンの弾圧が激化する中で制作されました(ちなみにこの版画の制作年「1597年」は、26聖人の殉教の年にほかなりません)。弾圧と禁教の中、当時制作された数多くの版画が失われたと考えられていますが、《セビリアの聖母》は国外に持ち出され、そのおかげで奇跡的に現在まで残ることとなりました。
 時代をはるかに下った1869年、《セビリアの聖母》は、当時大浦天主堂に赴任していたプティジャン神父によって、前述の《聖家族》とともにマニラで発見され、ローマ教皇ピウス9世に献上されました。ところが教皇は、《セビリアの聖母》が制作地である日本で保管されることを望み、自ら余白に署名と書込みを入れた上で、大浦天主堂にこれを下賜しました。その後、《セビリアの聖母》は1960年には《聖家族》とともに長崎県有形文化財に指定され、現在はカトリック長崎大司教区が所蔵しています。

渡辺千尋(わたなべ・ちひろ1944-2009)

1944年東京生まれ。長野県上田市で幼少期を過ごす。10歳で長崎市に移り、県立長崎東高等学校を卒業し上京。桑沢デザイン研究所に学び、1965年に同所を卒業後、舞台照明の仕事などを経て広告代理店にデザイナーとして勤務(その後独立)。デザインの仕事と並行して油彩やペンにより創作活動を行う。1978年にエングレーヴィングに出会い、ほぼ独学で技術を習得。1979年、第47回日本版画協会展に出品して奨励賞を受賞。1988年、『象の風景 渡辺千尋銅版画集』を刊行。1993年、ポーランド(ワルシャワ、クラクフ)とチェコ(プラハ)で個展を開催。1994年、戦後長崎の土産物として知られる創作人形「トンチンカン人形」を題材としたノンフィクション『ざくろの空―頓珍漢人形伝』を執筆し、第1回蓮如賞を受賞(1995年に河出書房新社から刊行)。1996年、長崎県南高来郡有家町(現・南島原市)の依頼で、16世紀末に有家のセミナリヨ(イエズス会の中等教育機関)で制作された銅版画《セビリアの聖母》の復刻を手がける。その完成に至る経緯や発見をミステリータッチでまとめた『殉教の刻印』は、2001年の第8回小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞(同年に小学館から刊行)。同じく2001年、メゾチント作品を発表する。2007年11月、長崎のKTNギャラリーで開催された個展において「長崎グランド・ゼロ・モニュメント試案」を発表。2009年8月、食道癌のため逝去。享年64。

作品紹介

関連企画

ワークショップ「アナタもワタシもプチ版画家-エングレーヴィング編-」

銅版画技法の説明を聞きながら刷る工程を見る、プロの版画家による「デモンストレーション」と、実際にエングレーヴィングにチャレンジできる「エングレーヴィング体験」の2つが楽しめます。

会場 アトリエ
講師 城戸宏(リン版画工房)
日時等 【デモンストレーション】
日時|2017年2月25日(土)、26日(日)①10:30~11:10 ②14:30~15:10(各回40分)
    ※各日2回実施。各回内容は同じです。各回10分前から受付開始
対象|全般
定員|20名
参加料|無料 ※要コレクション展観覧券(半券可)


【エングレーヴィング体験】
日時|2017年2月25日(土)、26日(日) 各回デモンストレーション終了後、50分程度 
    ※各日2回実施。各回内容は同じです。各回10分前から受付開始
対象|高校生以上
定員|10名
参加料|500円(材料費)※要コレクション展観覧券(半券可)
担当学芸員によるギャラリートーク

日時 2月12日(日)、3月12日(日)、4月2日(日) 各日14:00~ 
会場 常設展示室(要観覧券)

基本情報

観覧料
一般400(320)円
大学生・70歳以上300(240)円
小中高生200(160)円

・県内在住の小中学生無料。
・( )内は15名以上の団体割引料金。
・学校行事の一環として、県内の小・中・高・特別支援学校生が利用する場合は、引率の教員を含め、無料。
・障害者手帳保持者及び介護者1名は無料。
・「デンマーク・デザイン」「夢の美術館―めぐりあう名画たち―」「愛の軌跡 マリー・ローランサン展」のチケットでも観覧できます(会期中に限る)。

主催等
主催長崎県、長崎県美術館
協力カトリック長崎大司教区