画面一杯に描かれているのは、アスファルトを炉の中で溶かす男たちである。彼らは、白い蒸気を立ちのぼらせる炉を取り囲むように並び、手に手に長い棒を持って炉の中を掻き混ぜている。夜間作業なのか、人工的な光が画面に強い明暗のコントラストを生み出している。黒と褐色を基調としたモノクロームの色調の中で、炉から覗く熱せられたアスファルトの赤が鮮やかなアクセントを添えている。 アスファルト舗装をする労働者という主題には、友人の画家リカルド・バローハのエッチング(1905年頃)からの影響が指摘されている。しかし両者の表現の違いは明らかだ。バローハが、作業する労働者たちの姿をより広々とした空間の中で捉えているのに対し、ソラーナは、極めて近い視点から奥行きの浅い空間に複数の人物をぎっしりと詰め込んでいる。ソラーナの作品ではそのため、作業の様子がより臨場感をもってダイナミックに表現されている。荒削りな筆致で描かれた労働者たちの姿は力強く堂々たるものだが、こうした労働者の表現や筆致、色調は、《馬鈴薯を食う人々》をはじめとするゴッホの初期作品や、19世紀末ベルギーの炭鉱労働者をモニュメンタルに表現したコンスタンタン・ムニエの油彩および彫刻作品を髣髴させる。そのことから、ソラーナを、19世紀後半以降のヨーロッパにおける社会的リアリズムの系譜に位置づけることも可能だろう。 なお、この作品は須磨彌吉郎がスペインで最初に購入した作品である。須磨は、エル・グレコを淵源とする「エスパーニャ・ネグラ(黒いスペイン)」(陰鬱で不吉なスペイン独特の精神を表現主義的に抉り出そうとする美学)の系譜に連なる代表的画家として、ソラーナを極めて高く評価していたのである。
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